やる気の無いまま、アンネの1日が過ぎていく。
応用魔法、実技、古文……
ボーッとしていると、あっという間に授業が終わった。
「……放課後、か」
日が中天を過ぎこれから沈もうとしている頃、アンネは荷物を纏めて席を立った。
(「とりあえず、退部届を提出にいこう……」)
アンネの手には、授業中にしたためた退部届が握られている。
入部届を出していないのだから、別に退部届を出す必要もないのだが、アンネは律儀な性格だった。
「アンネちゃん、また明日ねー!」
クラスメイト達の挨拶にも、
(「部室長屋、と……」)
全く気づかず、思いつめた顔でフラフラと教室を出て行くアンネ。
「あれ? アンネちゃ〜ん……?」
「なんか今日は、朝から心ここにあらずって感じだよね」
「ほら、朝のジェット……アレのせいだよ」
ヒソヒソと囁き会うクラスメイト達だった。
廊下から下駄箱へと向かい、外履きに履き替えると校舎裏の部室長屋へ向かう。
部室長屋の前では―――
「来たね、アンネちゃん。待ってたよ」
リュックサックを背負ったコナンと、
「ほら、サッサと行きますわよ」
腕を組み、待ちくたびれた風のラフォーレ、
「……アンネ。行こうぜ」
眉を潜めて複雑な表情を見せるジェット……都合3人が立っていた。
「え、行くって、どこへ?」
アンネが退部を申し届ける暇も無く、矢継ぎ早に話を進めていくコナン。
「僕のパートナー……ピリカの病室さ」
「でも、私は、その、日騎部を―――」
アンネも抵抗を試みるが、
「ああ、部活動なら今日は自主練でやる程度にしてね、病院はちょっと遠いんだよ」
柔らかな物腰とは裏腹に、強引にアンネを引き連れていくコナン。
「え、あ、う……」
「……ほら、行くぞ」
二の句を告げないアンネの手を掴み、軽く引いてくるジェット。
「こら、引っ張るな! 私は自分で歩ける!」
「そうそう、その元気で行こうぜ」
ニカッと笑いかけてくるジェット、アンネは己の動悸が微かに早まるのを感じていた。
「さ、ピリカ先輩のお見舞いへと参りましょう」
そんな二人を、面白くない様子で眺めるラフォーレだった。
「もしもし、ピリカ? 来たよ〜」
コナンが病院の個室を叩くと、すぐに声が返って来た。
「いらっしゃいコナン。ドア、開いてるわよ」
鈴の音を転がしたような、高音の綺麗な声。
コナンの恋人であるピリカとはどんな人物なのか……やめるのはそれを知ってからでも遅くは無い、アンネはそう思いなおしていた。
返事を受けてコナンがドアノブを捻り、押す。
橙色に染まる病室の個室。沈む夕日に良く似たオレンジ色の髪と瞳を持つ少女が、ベッドの上で半身を起こしていた。
布団がかけられた、その上からでもわかる腹部のふくらみ。
(「この人が、ピリカさん」)
「こんにちは。約束どおり、部員みんなを連れてきたよ」
コナンの、晴れやかな笑顔。その笑顔を受けて、笑顔になるピリカ。
そして、その笑顔で元気を失う者。
(「あれが、コナン殿の本当の笑顔……」)
コナンの斜め後ろ、横顔を見ながらアンネは溜息を吐く。
「……」
不意に、うつむきかけたアンネの頭に手が触れる。
「ピリカ先輩、コイツが新入りのアンネっすよ」
ジェットだ。紹介しつつ、アンネの頭をポンポンと優しく叩いている。
「こ、こら! 子ども扱いするな!」
耳まで真っ赤になりながら抗議するアンネ。
「ああ、あなたが新入り……」
そんなアンネを見つめるピリカ。アンネとピリカの視線が、絡み合った。
(「っ! この人の目、わからない。単純で、それでいて複雑にも思える……」)
心の全てを見透かされているような、そんな感覚。
それは、子を見守る母の瞳に似ていたのだが、この時のアンネにはそれを知る術もなかった。
「良い目をしてるわね。まるで、昔の私を見てるみたい」
「昔のピリカ先輩って、先輩は俺の1コ上なだけじゃないっすか」
ジェットが笑いながらツッコミを入れる。ピリカはコナンと目を見合わせ、笑いながらポリポリと頭を掻いた。
「ゴメンゴメン、そうだったよねー。いやー、色々経験してるから、私はホラ!」
「そうそう。僕もピリカに連れられて色々苦労したからねー。精神的には若くないんだよ、ほんと」
「そ、そうなんですか……」
アンネにはコナンの冗談が冗談と受け取れない。その言葉は真実を帯びている気がした。
そんなアンネへ、鋭い言葉を投げ放つピリカ。
「アンネちゃんね。あなた、今悩んでるわね?」
「え……」
虚を突かれ、言葉を返す事が出来ない。
(「人間なにかしら悩んでいるはずなのだから、あてずっぽうに言っているだけ―――」)
「ちょっとごめんね、アンネちゃん以外、席を外してくれないかな?」
「やれやれ……やっぱピリカのおせっかいがはじまったね」
肩を竦めるコナンに、真面目な顔で返すジェット。
「ははは、でも俺はピリカ先輩のアドバイス、役に立ってるんすよ」
「そう、ですわね……わたくしもピリカ先輩のお言葉には正直救われましたから」
ラフォーレまでもが同意し、アンネは訳がわからないといった様子で首を左右にめぐらせた。
「え? え?」
「ピリカはね、知り合った人にこういうアドバイスするのが趣味みたいなものなんだよ。それじゃ、終わったら教えてね。僕たちは外に出てるから」
それだけ言って病室から出て行くコナン達3人。
残されたのは、アンネとピリカの二人だけ。
しどろもどろなアンネへ、ピリカは優しい口調で語りかけた。
「アンネちゃん、まずはごめんね。コナンは私にとっても大事な人なのよ。好きなのはわかるけど……」
「な……」
抱いていた淡い恋心をあっさりと看破され、慌てるアンネ。何かを言おうとするが、舌がもつれて言葉が出てこない。
「なんでそんな事まで……っていうか、え、え、え?」
「あちゃ、驚かせちゃったか。私ね、人の目の奥に『天気』が見えるのよ」
手品のタネをばらすように、にっこりと微笑んでみせるピリカ。
「てん、き……ですか?」
「そう。色々あってここ数年で身に着けちゃった特技なんだけどね。ウェザーリーディング……晴れてるか、曇ってるか、雨なのか、雪なのか。天気によって、人の心が有る程度わかっちゃうのね」
迷惑な話だけど……ピリカはそう付け加えてちょっと眉を下げてみせる。
「よくわからないですが、そういう魔法というか、能力なのですね?」
「うん。まあ、あとは洞察力でわかる感じかなー。コナン絡みで日騎部に入ったけど、私がいてガックリ……で退部とか嫌だからね〜」
ぎくり、とアンネの体が硬直する。
今のも『天気読み』の力なのだろうか? アンネの胸に去来した疑問は、すぐに解決する。
「その反応だと、図星かぁ。鎌かけたらすぐ態度に出る性格なのね、アンネちゃんは」
「うう……」
アンネには、アンネとは数年しか歳が違わないはずのピリカが、やたら年上に思えた。
ピリカは前かがみになると頬杖をつき、猫のように目を細めて笑う。
「でもね、そんな理由で日騎部はやめない方が良いわよ。もうちょっとするとね、良い事があるわよ?」
「そんなバカな……」
笑い飛ばせないアンネ。それまでを、ズバズバ言い当てられているだけに、予言めいた物言いも本当かもしれないと思ってしまう。
「貴方は私と同じ。一人で突っ走って一人でずっこけるの。でもね、ずっこけても立ち上がってまた突っ走ると良いわ」
ピリカのオレンジ色の瞳に夕焼けが映りこんで黄金色に光っていた。
「良い? ガムシャラに走るの。何十年だって、何百年だって、雨の日だって、嵐の日だって。何度も転ぶから、体中すりむけて時々すっごく痛いけれど、それもすぐかさぶたになるわ」
アンネに、ピリカの言葉の意味は正直よくわかっていない。
けれど、アンネは心にその言葉を刻もうと思った。
今はまだわからないけれど、この人は私に何かとても大切な事を伝えている……そう思ったからだ。
「そうやって走り抜けた先に、私がいる。少なくとも私はそれで今、しあわせなのよ」
ピリカは目を閉じる。自分の腹部を優しく擦った。
(「ピリカさん、神秘的な人だ」)
アンネはつくづくそう思う。
「わかりました……私、もうちょっと日騎部を続けてみます。走ってみます」
(「打ちのめされた自分を、こうもあっさりと立ち直らせてしまうのだから……」)
退部届けを破り捨てよう、そう決心する。
いつしか、アンネの顔にも柔和な笑顔が戻っていた。
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