3:桃色の衝撃
 1時限目の授業が終わりを告げると、アンネはすぐに席を立ち、ジェットの元へと向かった。
 腕を組み、背もたれに寄りかかっていたジェットも近づいてくるアンネの影に気付き、閉じていた目蓋を開く。
「………なんか用か?」
「別に、取り立てて貴様と交わすような言葉はない」
 奥歯を強く噛み締めるようにしながら答えるアンネ。
「じゃあ、なんで来たんだよ?」
 文句のひとつでも言われるかと思っていたジェットは、意外な答えに――だが結局想定どおりに――苦虫を噛み潰した顔を見せる。
「特に理由はない。ないが、貴様の事を考えると無性に腹が立った。授業中もずっとだ」
 その言葉は本心だ。アンネ自身、なぜ自分がジェットの元へ向かったのか、理由がわからなかったのだ。
 強いて思いつくとすれば、周りが好意的に自分を迎えてくれたのに対し、彼だけは何事もなかったかのように無表情だったのが気になったのか……それぐらいに思っていた。
「そりゃ生理的に受け付けないんだろう。流石にどうしようもないぜ、諦めな」
 呆れたように首を傾けるジェット。緑色のバンダナが揺れ、ごきりと首の関節が鳴った。
 その仕草に、アンネはいよいよ怒り始める。
 自分がこれほど答えの出ない問いに悩んでいるというのに、簡単に諦めろというのか!
 ジェットの態度が気に障り、この時アンネは決心した。
「生憎だが、私は諦めるという単語は嫌いだ。この不快感がどこからくるのか確かめて、それを克服してやる」
 指をジェットの鼻先につきつけ、そう宣言する。
「……初めて会った時から思ってたけどさ、お前無茶苦茶だよな」
「私から言わせれば、周りがおかしいのだ。気になった事は即座に解決しなければ気が済まん」
 ジェットの冷たい視線もどこ吹く風、アンネは真正面から受け止めて見せる。
「そーかいそーかい……とりあえずさ、わかったからこの休み時間だけは勘弁してくれ」
「そうは行くか」
「つってもな……」
 微動だにしないアンネに対し、首を左右に巡らせるジェット。周囲を確認して、こう言った。
「明らかに噂になるんだよ、転校初日からそんな事されると」
「え?」
 気付けば二人の周囲には、遠巻きに騒動を見つめる生徒達の姿。ロマンスに飢えた思春期な生徒達の嗅覚は鋭い。
 野次馬の生徒達はヒソヒソとお互いに何事かを囁きあっている。尾ひれのついた噂が学院中に広がるのは時間の問題だろう。
「もう遅い、か……」
「な、ななな!!! か、勘違いしないでもらおう! 私はこのいけ好かない男を理解し克服しようとだな」
 さきほどとは打って変わり、頬を桜色に染めて見る間に狼狽しだすアンネ。
「諦めろ、もう何を言っても無駄だ。というかその分は否定してるウチに入らんだろ……」
 ジェットは肩を竦めると天を仰ぎ、溜息をつくのだった。

「……で、ヤッパリ俺についてくるのか」
 放課後、ジェットは自分の横にぴったりとついてくる甲冑娘を見てまた溜息をついた。
「当然だ」
 端的に答えるアンネ。アンネは授業が終わると、自分へ誘いかけてくる男子を蹴散らすようにしてジェットの足取りを追い始めていた。後方、廊下の曲がり角では二、三人の男子生徒が恨めしそうにジェットを睨んでいる。
「ヨハンにクラッソか、後でなんかおごらないと一生怨まれそうだな……はぁ〜あ」
 ちらりと後ろを見て、自らの懐具合を思い返すジェット。どうやらしばらくは極貧生活を送らなければならないようだ。
「さて、貴様は何処に行くのだ?」
 ガシャガシャ甲冑の音を立てながらジェットの顔を覗きこむアンネ。横から見るジェットの鼻は高く、綺麗な三角形を描いている。アンネは密かにその鼻の形は嫌いじゃないと思った。
 二人は教室を出て、何回か角を曲がりながら進んでいる。校舎の裏側へと進んでいるのだが、登校初日のアンネにはわからない。
「どこって、部活だよ」
「部活? ……ああ、あのニッキ部か」
 アンネの脳裏に朗らかなコナンの顔が思い起こされる。黒髪黒目、一見すると地味な眼鏡男なのにアンネにとって彼の印象は決して悪くなかった。
「そう、ニッキ部。なんでもライディング・サンは部長の故郷の言葉でニッキと読めるんだとさ」
 転校初日から纏わりついてくる風変わりな甲冑少女になんだかんだ言いつつも答えるジェット。実は律儀な男である。
「コナン殿か……かの御仁はどこの国の方なのだ?」
「確かシェイナとタンドリムのハーフだったかな。親父がシェイナ人らしいぜ」
「シェイナ、か……」
 アンネは後に続く「好かん国だな」という言葉を飲み込む。
 謎のベールに包まれた秘密の皇国、それがシェイナ皇国だ。領土だけ見れば只の東方の小国だが、徹底した秘密主義と他国への間諜――つまりスパイ――によって得た情報を武器に外交では常に優位を保っている。
 アンネはコナンもまた同様にシェイナ皇国から送り込まれたスパイなのではないか、そんな事をちらりと思ってしまった。
 ジェットはジェットでその思案を別の意味に取ったらしい。からかうように目を細めて笑う。
「なんだお前、もしかして部長を狙ってんのか?」
「なっ―――」
 瞬間、アンネの顔が茹で上がった。この実直な女騎士は恋愛事に免疫が無いようだとようやく気付くジェット。
「なぜ私が彼の御仁に恋慕の情を抱くと申すか! 確かに好ましいとは感じたが、その」
 早口でまくしたてるアンネをジェットは慌てて押し止める。
「ま、待て待て冗談だ悪かった。わかった、わかったから」
 そして、面倒くさそうに頭のバンダナに両手の指を差し込んでみせた。
「それに部長は彼女……というか奥さんいるからな」
「―――ッ!!?」
 ガシャンという音がしたきり、アンネが硬直したまま動かない。魔法王国タンドリムはもとよりアンネの生まれ育ったラツバル・レツバル連邦でも18歳ともなれば別に結婚していてもおかしくない国ではある。あるのだが。
「更に言えば、奥さんは妊娠しててもうすぐお子さんも産まれる予定だ」
「〜〜〜〜〜〜!!!!」
 あまりのショックに微動だにしないまま、気をつけの姿勢で綺麗にぶっ倒れるアンネ。顔は真っ赤を通り越して、オレンジ色だ。
「お、おい、大丈夫かよ?! 起き上がれるか?!」
 ジェットは甲冑でべらぼうに重いアンネを助け起こしながら、もうコイツに色恋ネタを振らないようにしよう、心からそう思うのだった。
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