2:覚悟のHR
「一体なんだったんだ……?」
 坂の上へと消えていく二人を呆然と見送るアンネ。春独特の柔らかいそよ風がアンネの肌を撫でて去っていく。
「とにかく判った事は……タンドリムは、珍妙なスポーツが流行っているという事か……」
 呟きながら視線が坂の上から更に上方、うっすらとしたブルーに染め抜かれた空へと移る。そこにはとても直視できない眩しい太陽があった。
 空を、飛びたい。
 アンネは魔法の基礎――魔法学院に留学できる程度――は学んでいたが、空を飛行する魔法は扱えないし、覚える積もりもない。彼女の目的はあくまで魔法剣の習得だ。
「(しかし、空を飛んでみたい。地に足の着かない世界とは、どのようなものなのだろうか……)」
 果てない夢想を続けながら、アンネは自らが大空へと羽ばたけるよう、一歩一歩坂を上り、空へと近づいていく。
 坂が終わり、校舎の入り口が見える。その脇に、教師らしき成人男性が立っていた。
 男は盛り上がった隆々たる肉体、赤いジャージを着込み竹刀を持っている。両手で竹刀を握り、体の中心線でピタリと止めている様はどこか主君の側に侍る騎士に通じるものがあった。
 男は坂から出現したアンネの姿を認め、朗らかに笑って近づいてくる。普通のがっちりとした体格の男ならばその仕草に威圧感も伴うだろうが、毛虫のような太い眉毛に常にニコニコと細められた糸目がそんなイメージを吹き飛ばしていた。アンネは男を愛嬌のある顔立ちだと思う。
「アンネ=ファゴットさんだね。ようこそ、タンドリム王立魔法学院へ」
 男は手を差し出し、白い歯を零す。
「私はアイデム、君がこれから3年間を過ごす事になる高等部C組の担任だ」
「アンネ=ファゴットです。宜しくお願いします」
 慇懃に礼を行うと、握手を交わすアンネ。アイデムの大きい手とアンネのガントレットとががっちりと噛みあう。
「この学院は生徒達の実力に合わせたクラス分けが行われている。学年でトップクラスの者達から順にS組、A組、B組……と配置されていくわけだな。君はC組だが、だからって劣ってるわけじゃない。授業は厳しいぞ!」
 言葉尻、急にガントレットへ加わる圧力。金属であるガントレットが変形しそうなまでのアイデムの握力は、恐らく魔法なのだろう。アンネは片眉をピクリと動かせて僅かに反応するも、臆することなく自らも差し出した手を強く握り返した。
「ええ、重々承知しております。己の力を高める為……全力を尽くします……!」
 実際のところ、やはりアイデムの手は補助魔法が掛けられていた。アンネの鍛えている、しかもガントレットをつけた手で思い切り捕まれても、アイデムは痛がる素振りを見せない。
 アイデムの太い指はがっしりとしたまま微動だにしない。どちらがガントレットなのか判らなくなるような強度だった。
 アンネのこめかみに一筋の汗が流れる。奥歯を噛み締めて痛みに耐えようとしたところで、ようやく腕の力が抜けた。
「すまんすまん、調子に乗りすぎた。アンネ君、キミはなかなかどうして骨があるな……」
 笑いながらも真剣な目のアイデム。彼なりの緊張を解すジョークだったのだが、予想外にアンネが耐えたので呆れ半分、感心半分といった表情である。
「ま、まあ……鍛えてますから」
 うなじの辺りを掻きながら、満更でもない風のアンネ。褒められているのがわかり、頬がほんのり桜色に染まる。
「普通の生徒なら1.5秒で弱音を上げてしまうというのに。この握手に耐えたのはお前が二人目だな」
「二人、目……?」
 瞬間、ジャージ姿のコナンがアンネの脳裏に浮かび上がる。なんとなく、コナンなんじゃないかという予感。
「ああ、数年前に首席で大学院へ上がったシモンて天才がいたんだがな。あいつには逆にやり返されたよ……ありゃあ凄かった」
 予感は――外れた。どうでも良い事なのに、心の中で残念がるアンネ。コナンの存在が気になっている事にアンネ自身は、気付いていない。
「コナン……殿は?」
「ん? コナンを知ってるのか?」
「え、ええ。先ほど、学院前の坂で、ちょっと……」
「良いヤツだったろ? アイツは今現在、高等部の首席だ。シモンほどじゃないが優秀だし、品行も方正。文句のつけようもない快男児だからな」
 アイデムのコナン評にアンネの顔がほころぶ。自分の見込んだとおりだ、そうアンネは思っていた。
「アイツにはこの挨拶をかわされてな。どうも先生のやり方を知っていたらしい。本当に食えないやつさ……と、おしゃべりが長くなったな、教室へ行こう」
 アイデムは手を叩いて世間話を切り上げると、アンネを先導するようにゆっくりと廊下を進みだす。
「はい、わかりました」
 口元に微かな笑みを浮かべながらそれに続くアンネ。コナンには予想を裏切られたが、その予想は良い意味で裏切られている。アンネはそう思っていた。
 コナンはなにかしらのトラブルを前にして『どう対処するのか』ではなくそれ以前の時点、『トラブル自体を起こさない』ように対処していた。そのしたたかさがどこか彼らしく思え、素晴らしいと感じた。
 板張りの廊下を歩くアイデムとアンネ。学院の歴史は古く、同時に施設の劣化も進んでいるはずだが、床板はしっかりしていて、アンネの甲冑が床板を踏んでも軋みひとつ上げない。むしろ黒光りすらして、生徒達をおおらかに抱擁しているような気がした。
 しばらく歩くと先を進んでいたアイデムの足が止まる。そして首を真横に向け、顎でこの教室だとアンネに指し示す。
 木で出来た引き戸の上部には『高−C』と描かれたプレート。教室の中からは生徒達のおしゃべりがわいわいがやがやと聞こえてきている。
 アイデムは軽く咳払いすると、教室前方の扉を引き開けた。扉の車輪が桟を滑る音と同時に、雑談の声がピタリと止む。
「待たせたな、ホームルームを始めるぞ」
「きりーつ、れい」
 係がいるのだろう、すぐに生徒の一人が号令を発し、ホームルームの始まりを告げた。生徒達が着席すると、早速アイデムは外で待っているアンネを手招きする。
「今日は、これからC組で勉強する新たな仲間……留学生の紹介をする。アンネ君、入ってきたまえ」
「おおー、マジで!?」
「男かな? 女かな?」
 生徒達の間で歓喜や期待の声が渦巻く中、アンネは甲冑を鳴らしながら教室へと足を踏み入れる。
 初めて訪れたのにどこか懐かしいような、温かみのある木造の教室。その空気を胸いっぱいに吸い込みつつ、緊張の面持ちで教室に入るアンネ。アイデムの促されて教壇に立つ。
「うおー、かっけー鎧だ!」
「バカ、それよりも先に可愛いだろ!!」
「凛々しくて、カッコイイわ……」
 主に男子生徒、それと一部の女子生徒の間で歓声が上がる。貴族の生まれだからだろうか、アンネの顔立ちは整っていて、一般的には美形と呼ばれるタイプではある。もっとも、湧き上がる男子の中でも一人だけはブスッとした顔でアンネを睨んでいたが。
「ラツバル・レツバル連邦より留学してきたアンネ・ファゴットです。何卒よしなに宜しくお願いします……」
 丁寧に頭を下げ、戻した瞬間、アンネはその視線に気付き、かすかに息を飲んだ。
 教室の後方、腕を組んで教壇の自分を凝視しているのは緑色のとても長いバンダナを巻いた男……先ほどアンネを轢きかけたジェットがいた。
「……ま、ある程度覚悟はしてたさ」
 目を瞑ると諦観したような呟きを漏らすジェット。
「……………」
 不快感から眉を吊り上げ、口を真一文字に結ぶアンネ。アイデムはそれを緊張と受け取った。
「そんなに緊張しなくても大丈夫だ、徐々に慣れていくさ。それじゃ席は……マルソーの隣だ。マルソー、手を上げて案内してやれ! 気が利かんやつだな、そんなんじゃモテんぞ」
「ノワール先生にフラれ続けてるアイデムには言われたくありません」
 やり返しながら手を上げるマルソーと呼ばれた少年。クラスにどっと笑いが起き、同時にアイデムの顔が恥ずかしさから真っ赤になった。どうにも図星らしい。アンネの不快感も、場の和やかな空気に上塗りされていく。
 それからはアンネも大人しく席につき、ホームルームは滞りなく終了していく。
 しかしアンネの脳裏には、ジェットのあの刺すような視線が鮮烈な印象として記憶される。
 慌しい1日は、まだ始まったばかりだ。
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