1:それは、鳥のように
 学校の前には、何故よく坂があるのだろう?
 生徒達の運動不足を強制的に解消させる為なのか、見晴らしのよい小高い丘の上に学校を建設する事が多いからなのか。
 御多分に漏れず、タンドリム王立魔法学院の前にも坂があった。人の足によって踏み固められ、馴らされている茶色の斜面、長く傾斜の緩い坂の両脇には赤と白のハシバミの花が咲き乱れている。
「……ミノムシのようで不気味、だな」
 その長い坂を懸命に上る一人の甲冑を着込んだ少女は足を止め、ハシバミの花を見やるとそう感想を漏らす。ハシバミの花には赤い雌花と白い雄花の2種類があり、雄花は長く房のように変形して地面へ向かい垂れ下がるのだ。雄花の方が雌花より大きいので、坂道を挟んでいるのはほぼ白一色に見える。見ようによれば幻想的な光景なのだが、生憎この少女には気が召さなかったらしい。
「だらりとみみったらしく枝にぶら下がりおって……見っとも無いわ」
 小さい声、しかしはっきりとした口調で呟くと坂上りを再開する少女。もはや視線は頭上の魔法学院から離れず、ハシバミの木には一瞥もくれない。代わりに名残を惜しむかのように、腰に履いた煌びやかな装飾を施した宝剣が揺れた。
 肩甲骨まである硬そうな銀髪を後頭部、赤いリボンで縛りつけてまとめている彼女の名はアンネ=ファゴット。タンドリム王国の隣国である、ラツバル・レツバル連邦からの留学生だ。
 タンドリムが王立魔法学院を建設するほどの魔法国家なのに対して、ラツバル・レツバル連邦は剣の国家。かつてラツバルとレツバルという二つの国であり、同時に二国間で長く激しい戦いを続けていたこの連邦国家では己が身を守る剣がなによりも重視され、尊いものとされてきた。
 半分没落しかかっている零細貴族ファゴット家の出であるアンネは、魔法と剣を融合した『魔法剣』を習得するべく、一族の期待を背に受けてタンドリム王立魔法学院の門を叩いた。叩いて門をくぐり抜けてみたところ、待ち構えていたのはこの長い坂である。初登校からやる気と体力を削がれる気分だった。
「なぜ、寮を坂の下に設置するんだ。これでは体力のない魔法使いなどでは遅刻してしまうのではないか?」
 どこまでも続きそうな長い坂の前に、武芸の修練を積んでいるアンネでも流石に息が上がってくる。初対面が大事だと思い、騎士としての正装――タンドリム王国では珍しい甲冑である――を着込んでいるのも疲労の一因だろう。
「ヒャッホー、いくぜぇ!!」
「くそー、負けねぇぞ!」
 アンネの脇を茶色の何かがすり抜ける。それを追うようにして続く青色の稲妻。アンネが類稀なる動体視力で確認したそれは、ホウキに乗った少年達の姿だった。少なくともアンネよりは確実に幼い。自分の考えが浅はかなものだった事を思い知らされ、思わず嘆息する。
「魔法は便利だが、頼りすぎはいかん、頼りすぎは……」
 自分には出来ない芸当をやってのける少年に嫉妬を感じつつ、それを振り払うように自らへ言い聞かせる。再び前を向くと、視界は影で暗かった。
「!!」
 反射的に危険を感じ、腰の宝剣に手をやるアンネ。
「おぉ〜い、危ねぇぞぉ〜!!!」
 頭上から聞こえてくる男の粗野な声。寄らば打ち砕くまでとばかりに腰の宝剣に手を添え、薙ぎ払おうとして―――
「あ……」
 上を向いた瞬間、スケボーに乗った男が目に入り、見とれてしまった。
 スケボーの向こうに見えるのは青を基調とした脇に緑の二本線が入った上下のジャージを着た男。逆光とスケボーに遮られて顔は見えなかったが、体格は長身かつ細身。非常に長い帯の鉢巻が、風に煽られてV字型に波打っていた。
 つい先程目にしたホウキによる魔法の飛行が低空・高速だったのに対して、このスケボーは高度が高く、低速だ。日輪を背に受けた男は空を往く雄大な鳥にも似ている、そんな気がしてアンネは素直に美しいと思った。
「だから、危ないっての!!」
「――ッ!」
 男のハスキーな声で惚けていたアンネの意識が戻る。すばやく腰の宝剣を鞘ごと抜き取り、横に傾けつつ眼前に掲げる。剣の腹へ吸い込まれるように飛んでくるスケボー男。タイヤが鞘に当たり、火花が飛び散る。勢いに負けぬよう、空いていた片手を鞘の峰に添え、腰を落として踏ん張る。甲冑を着込んだアンネの体が少しだけ、後ろへ押し戻されたところでスケボーは止まった。スケボーを蹴るようにして飛び降りる男。
「いよっ、と」
 しゃがんで衝撃を坂へ逃すと共に、自然落下するスケボーを地面スレスレのところで受け止めた。アンネはその挙動のスムーズさから男はかなりの運動神経の持ち主だと思う。
「わりぃな。いきなりガキ二人が飛んできて、先に人がいるか見ないでジャンプしちまった」
 悪びれずそう笑う男は鼻筋の通った長い鼻、涼やかで切れ長な瞳、枝毛など一本もなさそうな艶やかな栗毛を前はアップ、後ろは襟足にまで伸ばしている。
「………」
 同時にアンネは、この男が自分の嫌いなタイプに該当する男だとも思った。
「どうした? どっか怪我でもしたのか?」
(「ナヨナヨした男だ、それにその声、髪質が良いのも気に食わない……!」)
 男のハスキーボイスがアンネの神経を逆撫でする。アンネは、気障な男が嫌いで、豪胆な男が好ましいと考える少女だったのだ。同時に、自分より髪が美しいことに対するやっかみも少なからず存在していたが。
 アンネは宝剣を懐に佩き直し、男を睨みつけるようにして言い放った。
「……誠意が見えん」
「は?」
「誠意が見えないと言っておるのだ。よもや『わりぃな』の一言だけで許される事態と思うてか?」
「なっ―――じゃあ、どうすりゃいいんだよ!」
 アンネの態度に男の顔が歪む。男もまた、豪胆な女は嫌いで、貞淑な女が好ましいと考える男だった。声を荒げ、不快感を態度の端々に滲ませる。
「腹でも掻っ捌いて詫びればよかろ。最もヌシにそのような度胸もあるまいて」
「当たり前だ! なんで俺がこんな事で死ななきゃならないんだ!!」
「フン、話にならぬわ。タンドリムの男子は皆このような体たらくなのか?」
 男の怒気が膨れていくのを見て、多少の優越感を覚えるアンネ。いよいよ激昂し、男は自らの拳を強く握りしめる。
「てめえ……俺の事はこのさいどうでもいいが、その発言は訂正しやがれ」
「ほう、人並みの愛国心はあるのだな。些か見直したぞ……もっとも、口で敵わなければ女子にでも手を上げようというその根性で帳消しだがな」
「ッ、ふざけんな、この野郎!!」
 振り上げられる男の拳を前に、アンネは微動だにしない。アンネの顔以外は全て甲冑に覆われており、甲冑を殴られても向こうが痛いだけだ。だからアンネは顔面を守る事だけに集中すればいい。突き出される拳を瞬時に潜り込んでかわし、そのままボディにキツイ一発をお見舞いするイメージ。
 しかし、アンネは忘れていた。男が魔法王国タンドリムの住民だという事を。
「吹き飛べや、トルネード――」
 男の拳を中心に、つむじ風が巻き起こる。風の魔法なのは明らかだった。どのような攻撃なのか予測がつかず、先に攻撃を当てて向こうの攻撃を中止させようと慌てて動くアンネ。ガントレットで完全武装した拳を最短距離で突き出してやる。
 男とアンネ。二人の距離か縮まり、重なろうとしたその瞬間―――
「はい、そこまで。ケンカは良くないよ」
 二人の間でそんな声が聴こえたかと思うと、2つの乾いた音がハモる。男の拳とアンネの拳、都合2つの拳を、突如あらわれた別の男が軽々と両掌で受け止めていた。
「うちのジェットがご迷惑をおかけしました。日騎(にっき)部の長たる者として、わたくしコナン=トンコウが深くお詫び申し上げます」
 コナンと名乗った別の男は、受け止めた拳をゆっくりと下へ降ろすと、アンネへ向き尚会って深々と頭を下げた。
 礼儀のなった態度にアンネもすっかり毒気を抜かれてしまう。
「あ、う、うむ……私もちと言い過ぎた故、な。こちらもすまなかった」
 つられるように謝るアンネ。コナンはジェットよりも背が低く童顔、体つきも華奢だ。眼鏡をかけていて、漆黒の瞳と髪色が彼が純粋なタンドリム人ではない事を如実に示していた。生粋のタンドリム人は、黒色の瞳や髪を持たないのだ。身に着けている炎の柄が入った青ジャージに黒は良く合っている、そんな事を思うアンネ。
「なんでこんな失礼なヤツに謝るんすか、部長」
「ジェット、お前も謝る! いいか、人は自らを映す鏡なんだ。自分が親切にすれば相手からも好意が返ってくるし、悪意を持って接すれば向こうもこっちを嫌ってしまう……そういうものなんだからな」
 説教しながらも、ジェットの頭に巻かれた長ハチマキを引っ張り、無理矢理頭を下げさせているコナン。細身の体のどこにそんな力があるのか、アンネは呆けたようにその光景を眺めていた。
「―――ところで貴女、他国からの留学生の方ですね?」
 コナンにそう切り出され、慌ててこくこくと頷いてみせる。
「あ、ああ……そうだが。やはりこの格好は目立つか」
 うつむいて己の鎧を見つめるアンネ。身体を動かすたびに、駆動する関節部分が擦れて金属音を立てる。
「それもありますし、日騎(ライディング・サン)を知らないようでしたから、ね」
「らいでぃんぐ・さん?」
「はい。ジェットもやってた、このスケボーとかローラースケートで坂をジャンプしながら下るスポーツの事です。タンドリムじゃ最近ブームになってるんで、知らない人はいないくらいなんですよ」
 言いながらコナンは自分の後頭部の更に向こう、ジャージの中に手を入れるとピンク色のスケボーを引き抜いて見せた。ジャージのどこにスケボーの入る容量があったのか、はたまた魔法だったのか、魔法の知識が皆無なアンネにはわからない。
「日騎は魔法みたいに人工的じゃない。空を跳んでる……いいや、飛んでる感じなんだぜ」
 お前にゃわからないだろうがな、と最後に余計な一言を添えつつニヤリと笑うジェット。
 日騎を心から本当に愛している――そう言いたげなジェットの不意打ちの笑顔に、思わずときめいてしまうアンネ。
(「気、気の迷いだ! 1度ならず2度までも見惚れるなどという愚行を、私が犯すはずがない!!」)
 首をブンブン振って自分の気持ちを否定しようとするアンネ。男二人はそんな女心を全く理解せず、話を先に進めていく。
「そろそろホームルームの時間だよ。ジェットも朝練を切り上げてクラスに戻ること、良いね?」
「へーい。あー、授業かったりーな……」
 ピンクのスケボーを背中に仕舞いなおすと、坂を上り始めるコナン。ジェットも頭をポリポリ掻きながら続く。
「それじゃ、もし貴女も興味あるのなら、日騎部の見学にでもきてくださいね。この坂でいつも部活動していますから」
 アンネを残して去っていく二人。長い坂の上からは、ホームルーム5分前を示す予鈴が聴こえてくるのだった。
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