10:jump!
「だーっ! そこでエッジ利かせんだよ! 止まんな!」
「私はまだ3日目なんだぞ、無茶を言うな!」
 山の上にあるタンドリム魔法学園。麓の校門と校舎をつなぐ坂。
 そこから聞こえてくる怒声は、早々に学園の名物になりかけていた。
「ってことは大会まであと4日しかねーだろーが! もっと気合入れていくぞ!」
「や、ヤブヘビだったか……?」
 スケボーを立てかけ、思わず呟くアンネ。
 額から頬、顎を伝って零れ落ちる汗。両肘、両膝に装着されたプロテクターは灰のクレヨンで塗り潰したかのように薄汚れていた。
「まあまあジェット。どうも見る限りだと、ジェットの要求が高すぎるよ」
 苦笑いを浮かべながら間に割って入ってくるコナン。
「何言ってんすか先輩。俺はコイツとバディを組むんすよ。できる限りの事をやらなきゃ後悔するでしょーが!」
 しかし、残念ながらスイッチの入ったジェットを止めるには至らなかった。
「そ、そっか、本人がそういうなら、仕方ないよね……でもさ、本番前に怪我させたら元も子もないからね?」
 勢いに押され、両手を体の前に置きながらそのまま後ろに仰け反っていくコナン。
「大丈夫ですよ、こいつは怪我なんかするハズないです」
 ジェットはそれだけ言うとコナンから視線を外し、アンネを睨みつける。
「お前、転ぶの恐がってんじゃねえよ」
「な……! わ、私が転ぶのが恐いと?!」
 耳の先まで真っ赤にし、口角泡を飛ばして反論するアンネ。
「見りゃわかるぜ、そのへっぴり腰! 良いかお前、本番じゃ更にバンクがあるんだぞ? バンクでジャンプできんのか?!」
「な、なんだ、バンクとは……」
「コブ、ジャンプ台みたいなものだね。実際のコースにはバンクが3つあって、そこでのジャンプの飛距離、芸術点などで優劣を競い合うんだ」
 コナンは指をパチンと鳴らし、魔法で坂にバンクを作りだす。
「ほぅ……その、これはなんだ、大きいな」
 自身の倍近くもある巨大なバンクを見上げ、口をポカーンと開けるアンネ。
「スキーのジャンプと同じと考えればよろしいですわ」
 ボリュームのある髪を後ろで一つにまとめているラフォーレが簡単に纏めて説明した。
「む……すまん、故郷(さと)のラツバル・レツバル連邦ではスキーの風習が無いのでわからん」
 アンネは申し訳無さそうに頭を下げる。
「風習呼ばわりですか……ま、文化の違いですわね。わたくしが見本をお見せいたしましょう」
 言うなりアンネに背を向け、坂を登っていくラフォーレ。歩く姿もしゃんとして貴族然だ。
 ……ズルズルと大きなソリを引きずっていなければ、もっと決まっているのだが。
「それでは、いきますわよっ!」
 坂の上、ラフォーレは雪ソリの上に片足立ちになり、宙に浮いた方の足で地面を蹴って助走をつける。
 軌道に乗ると、両足をソリの上に置いた。
「いいか、雪ソリは本当は立って乗るもんじゃないぞ、座って乗るものだから、そこは参考にするなよ」
 肩を竦め、溜息をつくジェット。
「素直にスケボーにすりゃ良いのに。故郷を忘れないとかつまんねープライド持ってんだよなぁ」
 砂利を弾き飛ばして坂を疾走する雪ソリ。魔法でコーティングされた雪ソリは雪が無くとも全く問題なく斜面を駆け下り、バンクへと肉薄する。
「はっ!」
 短い掛け声と共に身を低くするラフォーレ。腕をソリのヒモにやり、手繰り寄せると強く引く。
 ウイリーのような体勢、バンクから、ソリが大砲のように放たれた。
「…………っ」
 青空に、溶けていきそうな蒼色の髪。
 ソリのヒモを引くラフォーレは、暴れ馬を巧みに乗りこなすロデオボーイを想起させた。
 長い、高い、いつまでも続きそうな空中散歩。
 しかしそれも実際は数秒の事で、濁った音を立ててソリはアンネ達のすぐ側へと着地していた。
「ふぅ……どう? こんな風に貴方も鳥になれるかしら?」
 足でソリを踏むことで真上に立て、自慢気な笑みを見せるラフォーレ。
「も、勿論だとも! 私にだってただ飛ぶくらいなら出来る!」
 スケボーを小脇に抱え、反射的に言い切ってしまうアンネ。
「言ったなアンネ。じゃあやってみな」
 ジェットは容赦なくアンネにジャンプを促す。その顔はいたって真剣だった。
「え、あ、う……」
「出来るんだよな? 出来なかったら……そうだな、俺にキスしてもらうぞ。勿論口だぞ、頬なんかじゃないぞ」
 鋭い目が、ジェットの言葉が冗談ではないことを何よりも雄弁に語っていた。
「な、ななな……」
 いきなりの条件提示に混乱するアンネ。スケボーをぎゅっと胸の前で抱きしめた。
「も、モチロンだとも! その代わり私が勝ったら、ラフォーレ殿とキスしてもらうからな!」
 あらぬ事を口走り、坂の上へと駆けていく。
「ちょ、ちょっと!! なんでわたくしがジェットなどに初めての口づけを捧げなければならないんですの?!」
 ラフォーレの声はアンネの背には届かない。
「おー、俺は構わんぞ」
「どっちにしろジェットは役得だもんね。というか、ラフォーレ、まだキスしたこと無かったんだ」
 茶化して場を温めようとするコナンだったが、
「コナン先輩、最近、そういうのはセクハラっておっしゃって、罪になるんですのよ」
「ご、ごめんなさい」
 ラフォーレの氷のような一言が逆に場を凍らせてしまった。
(「み、見ていろ、私が見事にバンクを飛び、ジェットに『私が悪うございました』って土下座させてやる! ……あ、あれ、なんでこんな事になってるんだっけ?」)
 途中からのぼせたように、フラフラと坂の頂上にまで登り終えるアンネ。
 最初の試練がアンネを呑み込むべく、顎を開いて待ち構えていた。
「う……なぜだ、コブ1つ増えただけなのに、なんで……」
 坂を見下ろすアンネに悪寒が走る。
 バンクに遮られて、坂の終わりが見えない。
 それこそがアンネを不安に駆り立てる原因だった。
「おら、はやくしろよー!」
 坂の下、バンクに隠れて見えないが、ジェットの声が聴こえてくる。
「恐かったら、この坂の下には僕らが待ってるって事だけ考えて!」
 コナンの声もアンネの耳に飛び込んでくる。
「このコブを飛んだらコナン殿にあえる……ジェットにあえる……ラフォーレさんにあえる……」
 目を閉じ、束の間の集中。青い炎を象ったジャージを着込んだ、黒い瞳のコナンの姿。
 蒼い髪に釣り上がり気味な金色の目。腰に手をあて、挑発的なポーズを取るラフォーレ。
 地面につきそうな長い赤バンダナを翻し、白い歯を見せて笑っているジェット。
 アンネは、胸の奥が熱くなるのを感じていた。
(「今なら、いけそうな気がする……!」)
 スケボーを坂に放り出し、飛び乗る。
 周りの風景が、流れ始めた。
 沿道の木々が、濃い緑になる。アンネのただでさえソバージュ気味な銀髪が、風の抵抗を受けて大きく広がっていた。
(「別に何をする事も無い、ただスケボーに乗っていればいいんだ……でも、私はやっぱり飛びたい!」)
 腰を落とし、跳躍の体勢を取る。
 アンネの眼前に広がっていくバンク。
 灰色が視界を覆いそうになって―――
「えええーーーーいっ!!!」
 急に青色へ切り替わった。
「う………わ」
 奇妙な浮遊感、ゆっくりと時間が流れ始める。
「これ、真剣での練習試合の時と、同じ」
 肌を切る風の感触を、アンネは既に知っていた。
 空に飛び出した事を生命の危険と感じたのか、アンネの神経は極限にまで研ぎ澄まされる。
 風切り音。
 世界をかき回すべく、全力で空回るスケボータイヤ。
 スケボーと靴の擦れる音。
 腕を動かした事による関節の僅かな軋み。
 心臓の音。
「アンネーーー!!!!」
 なぜか、ジェットの声。
「ばっかお前、飛びすぎだーーー!!!!」
「え?」
 視線を空から地面へと移す。
 まだ着地点である坂は遥か下方。真下で直角に折れ曲がって校門へとつながっている。
 対して、前面には一面の木々。
「いかん―――」
 放物線を描いて、アンネは坂を飛び越え、奥の森にまで飛び込んでいく。
 瞬間、体を緑色の膜が覆った。
「なんだこれは、う、うわあああーーーっ!!!」
 林へと落ちていくアンネ。太い枝が体に当たらないよう祈るしかない。
 アンネの体を包んだ膜が、周囲の枝を弾き飛ばしていく。
 しかし、大木を弾き飛ばすには足りず、アンネは大木に唇を捧げる事になるのだった。

 ―――――タンドリム魔法学院、保健室。
 騒がしい声で、アンネは目を覚ました。
「……ん」
「な、なにも本当にする事ございませんですのに! どうせアンネさんを焚きつける為だったんでしょう?」
「そーだけどよ、折角だからな? な?」
 視界に飛び込んでくるのは、嫌がるラフォーレの両肩を掴んでいるジェットの姿。
「……ジェット。貴様、最低だ」
「そ、その通りですわ!」
「なんだと、元はといえばお前がやれって言ったんだろ! ……ってアンネ、目が覚めたのか?」
 アンネの眼が覚めた事で、ジェットはラフォーレの肩から手を離し、アンネに構い出した。
 ジェットの後ろでホッと胸を撫で下ろすラフォーレを見て、アンネはクスリと微笑を漏らす。
「ま、全く! コホン……コナン先輩のおかげで、擦り傷程度で済んだのですわ、あとでお礼を言っておきなさい」
 ラフォーレは頬を桜色にしてそっぽを向く。
「コナン殿のおかげ……?」
「防御力を上げる魔法をとっさにかけてたんだよ」
「ああ、あの緑色の膜か……」
 アンネは事故の直前に自分を覆った緑色の膜を思い出す。あれはコナンの魔法による産物だったのだ。
「そのコナン殿は?」
「学校の林を壊しちまったからな、先生に怒られてる」
「ご本人は『これも部長の仕事さ、ピリカで慣れちゃったよ〜』と笑っておられましたけどね」
「そうか……後で謝らないと」
 先生に厳しく怒られているコナンを想像し、アンネは俯く。
「まあ……でも、良いジャンプだったぜ。本番のコースじゃ、あんな風にはならないから安心しな」
 下がった頭に、ポンと大きい手が置かれた。
「あ………」
 視線だけ上を向く。上目遣いでジェットの顔を伺う。
「よくやったぜアンネ、もう転ぶのも恐くないぞ」
 目を細め、屈託無く笑うジェット。
 その顔を見ていると、アンネは本当にそんな気がしてくるのだった。
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