それからほどなくして、コナンはようやくピリカに追いつく事が出来た。
 ピリカは壁に貼り付くようにしているかと思うと時折窓へと顔を出し、外の様子を伺っている。
「はあ……はぁ………ピリカ、見つかったの?」
 ずり落ちそうになるローブを肩に引っ掛けなおし、息を整えようと試みるコナン。二、三度軽く深呼吸。
「うん、ほら……」
 ピリカは唇に立てた人差し指を当て、静かにのジェスチャーをしたまま顎を窓の外へと向けた。
 嵌められたガラスの向こうに広がるのは中庭だ。それも随分廊下を疾走した為に端っこあたり、風景として見るのならば、視界の半分が折れ曲がった校舎と廊下に埋まったこの景色はつまらないものに映るだろう。
 しかし、ピリカにとってはそれは風景画ではなく、人物画だった。
 中庭の端にあるベンチに腰掛け、眠そうにサンドイッチを摘んでいる栗毛の青年。
 鼻筋が綺麗に通っていて、目は切れ長。顎や体が細く、長身な彼はどこか凛とした一本のレイピアを想起させた。
 溜息をつき、サンドイッチを頬張る青年。体を動かす度に内側にカールした長髪がブラブラ揺れている。
「……相変わらず、大変そうだね。シモン先輩は」
 苦虫を噛み潰したような顔で窓の外を覗くコナン。ベンチで一人、昼食を取っている彼はシモン=ローゼンクロイツと言う。17歳、王立魔法学院高等部S組所属。
「いつも勉強漬けの毎日を送ってるって聞いたもの……寝不足みたいでも、やっぱりシモン先輩はカッコイイわ」
 そう言うピリカの瞳は輝いている。シモンは成績優秀容姿端麗、地水火風という基礎4大魔術を完璧に修めた魔法学院のエースともいえる男だった。
「良い噂ばかりじゃないよ、でも。男子寮は女人禁制なのに自室に女の人を連れ込んでるとか、しかも見るたびに違う女の人だとかさ」
 コナンの口調は険しい。ガラスと眼鏡、二つのレンズ越しに真っ直ぐシモンを見つめていた。
「……珍しいね、コナンが他人の悪口言うなんてさ」
 どこか驚いたように、コナンの横顔を眺めるピリカ。ピリカの視線に気付き、コナンは頬を朱に染めて否定する。
「わ、悪口なんかじゃないよ。噂ってだけで僕がそう思ってる訳じゃ」
「言い訳はナシよ。私のシモン先輩を悪く言うなら、たとえコナンでも許さないんだから」
「別にシモン先輩はピリカのモノじゃないじゃないか……」
 ピリカの剣幕にタジタジになりながらも、コナンは窓の外を指差してみせた。
 ベンチの裏の校舎の窓、中庭にある茂みの影、向かいのベンチ――
 そこかしこに、シモン見たさの女生徒達が張りこんで彼を観察している。シモンが眠そうなのは、どうやらこういった包囲の目に常に晒されているからという理由もありそうだった。
「そうそう、そこの可愛いボウヤの言うとおりよ」
 背中から投げかけられる声。二人は窓から顔を離して振り返る。
 青い髪をショートボブにした女生徒が立っていた。顔に薄く化粧をまぶし、豊満な胸を強調するように服を第2ボタンまで開けている。ぱっと見るに、明らかに高等部の女生徒だ。
「あんたみたいなションベン臭いガキ、シモン様のお目にかかる訳ないからね、フフッ」
 あざ笑うようにして、文字通りピリカを見下ろす高等部女子。ピリカは肩を竦めて溜息を吐く。
「そうかしら。化粧臭いオバサンよかよっぽど確率あると思うけど?」
「オバっ――」
 高等部女子の顔が、怒りで見る間に紅潮していく。慌ててコナンが間に入る。
「ご、ごめんなさい! 僕から良く言っておきますから! そ、それじゃ!」
 ピリカの手首を掴み、思いのほか強い握力で強引に引っ張っていく。
「ちょっと、コナン、離してよ! 私が売られたケンカなんだから〜!!」
 引きずられながらも首だけは高等部女子へ向け、刺すような視線を真っ向から受け止めながら吠えるピリカ。
 廊下を曲がったところで、ようやくコナンはピリカを解放する。ピリカは振り払うようにして掴まれた手首を擦った。
「誰彼構わずケンカ売るのをやめなよ、ピリカは……そのうち本当に学院に居られなくなるよ?」
「良いもん、そん時はそん時よ!」
 腕を組み、フンと横を向いてしまうピリカ。意地を張っているのは明らかだ。コナンは困ったような顔で、彼女を説得する理由を考える。しばらく考えてから、一言だけ発した。
「でも、それじゃシモン先輩と離れ離れになるんだよ?」
「う………」
 その一言は、事実なだけに流石に効いたようだ。うろたえるピリカ。目が泳ぎ、泣き顔になっていく。
「それは嫌……先輩の傍にいたい。っていうかさあ、コナンもさ、友達だったら私の恋を成就させるの協力してよ」
「協力……?」
 コロコロと変わる話題についていけず、鸚鵡返しに聞き返すコナン。ピリカはうんうんと二度、力強く頷いた。
「そう、協力! いつもコナンはさ、横に居てくれても協力はしてくれなかったじゃん」
「うーん……」
 ピリカの顔を直視できず、視線を彷徨わせるコナン。お願い、とばかりにコナンの手を取ってくるピリカ。
「前からさ、聞きたかったんだけど」
 コナンは照れながらも意を決したように、ピリカの目を覗き込む。
「なんでピリカはシモン先輩が好きなの? その理由が納得いくものだったら、考えない事もないけど」
 ピリカは笑ってごまかそうと思った。思ったが、コナンの声色は真剣だった。
 だから、自分の感情を素直に吐き出してみせた。
「そうね……うん。シモン先輩は私に無いモノを持ってるから、かな」
 はにかむように笑うピリカ。白い八重歯が覗いて見えた。
「私はほら、落ちこぼれじゃん。天候魔法の素質があるからなんとかやっていけてるだけで」
 成績の悪いピリカが王立魔法学院に所属できている理由、それは彼女の持つ魔法素養の特異性にある。
 気象を操る天候魔法。このジャンルの魔法を使いこなせれば、世界征服でもなんでも出来る。敵国から雲を取り除いて日照りにする事も、逆に大雨を降らせて大洪水を起こす事だって出来るのだ。
 だが現実に滅亡した国はない、それは未だに天候魔法を扱いこなす者が現れていない事を意味する。
 ピリカは生まれつき、少量の雨雲を操る事が出来た。その才能を買われ、魔法学院へ編入されたのだ。
 才能を買われたと言えば聞こえは良いが、結局のところピリカは兵器の卵として育てられている。
 良い成績を残せば強力な兵器として国に登用され、悪い成績ならば捨て置かれるのだ。
 そんな事実も相まって、彼女の心はすっかり擦り切れてしまっていた。
「でもシモン先輩は勉強も出来るし、基礎4大魔術の素養しかないのに魔法も一杯使えてエルメンタルマスターとか呼ばれるくらいだし……」
 窓の外に視線をやるピリカ。もうベンチにシモンの姿は無い。
「だから私にはシモン先輩が輝いて見えたの……って、恥ずかしいなぁ、もう」
 照れ隠しにポリポリと頭を掻くピリカ。コナンはほう、と声にならない溜息を吐く。
「ピリカ、ありがとう。そして恥ずかしい事聞いちゃって、ごめん」
「ん……コナンは私の大切な友達だから。隠し事はなしよ」
 オレンジ色のツーテールをいじりながら笑った。コナンの口元が、微かに歪む。
「そっか。そこまで信じてもらえてるんだから、僕もしっかり手伝わなきゃね」
「それじゃ――!」
 ピリカの顔に期待に満ちた色が浮かぶ。コナンの表情変化は、一瞬だった。
「うん。ピリカの為、及ばずながら力になるよ」
 満面の笑顔で、コナンは自らの胸を軽く叩くのだった。
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