タンドリム王国は、温暖湿潤な気候で知られる魔法大国である。
 名物は生糸から織られるタンドリム織とハシバミから作られるヘーゼルナッツ、そしてタンドリム魔導兵団だ。
 若い才能の芽を育むために王立魔法学院を設立し、一握りの成績優秀者は城詰めの魔導兵として徴用される。
 さらにその中の一握り、魔術師と呼ばれる者々はそれぞれが塔やアトリエを持つ事を許され、国の要職としての地位を確固たるものにするのだ。タンドリム王国にとって魔術師とは、万人から憧れを受ける対象なのである。
 そんな訳で今日も王立魔法学院の生徒達は魔術師を目指し、日々研鑽を積んでいるのだった。

「うっひょーーい!!」
 そんな王立魔法学院廊下にて、スケボーに乗って疾走する一人の小柄な少女がいた。
 対向の生徒達を巧みなハンドル捌きですり抜ける少女、赤い洗濯バサミで留めたオレンジ色のツーテールが揺れる。白と青のツートンカラーのワンピースも向かい風を受けて軽くはためいていた。
 この見るからにお転婆そうな少女の名前はエトピリカ=アプフェルズィーネと言う。長いので皆からはピリカと呼ばれている。成績劣等の素行不良、王立魔法学院中等部の問題児だ。
「ちょ、ちょっとピリカ! 待ってってー! あ、すいませんっ……」
 ぶつかった女生徒に謝りつつ、ピリカを追う眼鏡の少年はコナン=トンコウ。異国人であるシェイナ人の血が混じったクォーターで、シェイナ人独特の漆黒な髪と黒い瞳が目立つ。
 ピリカに比べるとコナンは繊細な体つきをしていて、青いローブに着られているという印象を受ける。息を切らせて、必死に足を伸ばしていた。
「わはははは、コナンももうちょっと体を鍛えなさい。健全な肉体じゃないと、魔法は使いこなせないんだからー!」
 気持ちよさそうに目を細め、コナンへと振り向くピリカ。慌ててコナンが声を張り上げる。
「ちょっ、前、前をしっかり見て!!」
「え―――?」
 制止の言葉は遅すぎた。激しい衝撃と共にピリカの視線がくるりと一回転する。
「きゃあああああ!!!!」
 甲高い悲鳴と共に、鈍い音が廊下に響く。スケボーが逆さまになり、車輪がカラカラと回転する。
 ピリカがぶつかったのは優雅な金髪を腰まで伸ばした、いかにもなお嬢様だった。廊下に尻餅をつき、ドレスの埃を払っている。
「痛たたたた……ピリカ、貴女という人はもう、どうしようもありませんのね! 廊下を走ってはいけないとあれほど――」
 頭から地面に落下したピリカは反応しない。廊下に横たわり、ワンピースのスカートがめくられたままだ。スカートの中に隠れていた白いモノが見えていた。
「ト、トンコウ様は見てはなりません!」
 まるで自分の恥部を見られたかのように、お嬢様は赤面してピリカのスカートを引き伸ばす。コナンも顔を赤らめて廊下の窓、照れ隠しに中庭の方へ目をやった。
「ありがとうアンジェリカさん、助かったよ……」
「い、いえ……その、いくらピリカといえどもレディのたしなみですもの、ええ」
 アンジェリカと呼ばれたお嬢様は、耳まで真っ赤にして応える。まるで自分にもその言い分を言い聞かせているようだった。
「アンジェリカさんは大丈夫?」
 コナンに怪我を心配されると、アンジェリカの赤面症はピークを迎えた。俯いて、どもりながらも精一杯に虚勢を張る。
「わ、わわわわたくしがこの程度で怪我をするとお思いですの?」
「そう、なんだ。ははは……って、ピリカ、大丈夫?」
 愛想笑いを返したところで、事態を再認識したコナンがピリカに駆け寄った。手首に二本指を当て、脈の有無を確認する。脈は有る、気絶しているようだった。
「息があるなら大丈夫なハズ……」
 コナンは眉間の中心、人中辺りに狙いを定めると、発光する自らの人差し指を軽く突きたてた。
「トンコウ様、これは……?」
「ああ、シェイナの回復魔法。人体の急所から逆に魔力を注ぎ込む事で肉体の損傷を回復させるんだ……」
 真剣な顔で突きたてた指を凝視するコナン。指先が蛍のように点滅し、こめかみに一筋の汗が流れた。かなりの集中を要する魔法のようだ。
「そのような魔法が……S組の私でも知らない魔法も、やはり沢山あるのですね」
 どこか感心したように、コナンの手当てを見守るアンジェリカ。S組とはセレクションクラスの略、選抜クラスを意味している。魔導兵になる素養ありと判断された、エリート達が集まるクラスなのだ。
「アンジェリカさんが知らないのも無理はないよ。シェイナ魔法は独特だし、シェイナ皇国自体が秘密主義なところもあるからね」
 シェイナ皇国、海を挟んだ別大陸にある高地の小国。世界で唯一、現存する皇帝陛下が統治する国家だ。
 その国風は幽玄にて神秘。符術や鬼道など独自の魔法が発達しており、その未知数な魔法が抑止力として存在する事により、小国にも関わらず滅ぼされずにいるのだ。
 シェイナ魔法が神秘だからシェイナ皇国が残っているのか、シェイナ皇国が残っているからシェイナ魔法は神秘なのか……卵が先か、鶏が先か。ともかくシェイナ魔法の全容は杳として知れず、今日もシェイナ皇国は在る。
「そ、そうなんですのね……」
 真剣に治療を行うコナンを、惚けたように見守るアンジェリカ。もごもごと口を動かせながら、話を切り出す。
「あの、アンジェリカという名前も言い難いでしょう? なんでしたら、その、トンコウ様ならアンジェと愛称でお呼びくださっても―――」
「うーん、あいたたた……」
 むくりとピリカが起き上がり、アンジェリカの言葉を遮った。
「良かった、気がついた……ピリカ、大丈夫かい?」
 コナンに顔を覗きこまれ、照れ隠しに自分の頭を擦るピリカ。後頭部には大きなコブが出来ていた。
「あー、うん、大丈夫。アンジェの鋼鉄ボディにやられて頭にコブ作っちゃったけどね、あはは」
「なッ――」
 アンジェリカの纏うオーラが目に見えてどす黒くなっていく。メラメラと火の粉を飛ばし始めるオーラ。
 彼女は、類稀なる炎魔法の使い手だった。
「ピリカ! 貴女はどうしていつもいつもいつも!! どうしてそうなのですの!!?」
 怒髪、天を突く。尻を床につけたまま、ぺたぺたと後ずさるピリカ。
「ど、どうしたのアンジェ、確かにぶつかったのは悪かったけどさ……怪我なかったんでしょ? そんなに怒る事ないじゃん」
「ありますの!!!」
 炎に包まれた手でピリカの首根っこを捕まえようとするアンジェリカ。ピリカは軽く悲鳴を上げながらその手から逃げる。ひっくり返っていたスケボーを元に戻し、片足を乗せた。
「そ、そうだ! 私はシモン先輩を追いかけてるんだった! そんじゃまたね!!」
「あっコラ、待ちなさいの!!!」
 アンジェリカの制止などものともせずスケボーの助走をつけ、逃げていくピリカ。見る間にその影が小さくなっていく。
「ごめん、アンジェリカさん! 僕からも良く言っておくから……ほんとごめんね!」
 コナンもすまなそうに頭を下げると額の汗を拭い、ピリカを追う為に走り出す。
「ちょ、トンコウ様!? 魔法を使った後に走ったりして、大丈夫ですの?!」
 明らかに歩みの鈍いコナンを、アンジェリカは心配そうに見送るのだった。
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送