初夏の容赦ない日差しと砂利まみれの坂道が、俺の自転車を漕ぐ足を止めさせた。
 暑い。海沿いだから照り返しも凄い。照り返しから逃れようと思っても、この島はどこも海沿いのようなモノなので、最初から逃げ場はない。
 海鳥の鳴く声を背に、自転車を手で押す。小刻みにカタカタと悲鳴を上げる自転車。
 首筋から肩にかけて、じっとりと汗が広がるのを感じて不快になる。自分では確認できないがきっとYシャツはぐしょ濡れになり、肌にぴったり貼り付いている事だろう。惨めだ。
 大村局長に配達用バイクの導入を直訴した事はあるが、予算も無いし二十歳そこらの若造がなに舐めた事を言っとるんじゃ、運動せい、とけんもほろろに断られた。
 金は無い、人も無い、おまけに運ぶべきモノもほとんど無いというのに、坂だけはしっかりある。
 自転車の前カゴ、ぞんざいに放り込まれた袋。その中から何枚かのハガキが覗いて見えた。
 宛先は東京都氷魚(ひお)郡。
 ここは東京湾南海に浮かぶ本当に小さな島、氷魚島。俺が生まれ、暮らしている島だ―――

 人口437人。島の周囲は8キロ程度。面積4.27平方キロメートル。東京ドームでいえば91個分。
 島全体が丘陵地形になっていて、お椀を逆さまにしたような形をしている。
 特産品はご多分に漏れず海産物、昆布。最近の問題は住民の高齢化および過疎化。
 まあ、よくあるつまらない島だ。俺はそんなつまらない島で、つまらない郵便局員をつまらなくこなしている。
 それなら都会に出れば良いと思うかもしれないが、困ったことに都会はもっとつまらないと感じる性質なのだ。
 俺は幼少の頃にこの島に越してきた。両親が自然豊かなこの島をたいへん気に入ったらしい。
 そんな自然好きの両親に連れられて、俺は国内はもとより海外にも何度か行った。
 様々な都市を回って俺が得た結論は、月並みだがこれだ。
『やっぱりウチが一番落ち着くね』
 ……どんなにつまらなくとも、やっぱり長年暮らしたこの島は俺の故郷なのだ。
 それに俺はよくよく考えてみると、物事をあまり楽しいと感じた記憶がない。
 島で二人だけの郵便局員になったのも、安定した収入を得る為であってそれ以上でもそれ以下でもない。
 だというのに田舎の郵便局潰し、郵政民営化が施行される。もし局が潰れたら、どうすればいいのだろう?
 まあ、大村局長が「隕石の名にも残った氷魚島郵便局を潰させはせん!」と息巻いているので最悪でも郵便局でない郵便局、分室という形で残してくれるだろうけれど。
『隕石の名にも残った』というのは、隕石は落下地点を管轄する集配郵便局の名がつけられるように決まっていて、氷魚島に隕石が落ちた事があるからだ。
 氷魚島が『星の落ちた地』と呼ばれるようになったのは今から十年ほど前の事だ。
 島唯一の小学校、氷魚小学校へ隕石が落ちたと一人の少年が報告したのが事の発端だった。
 周りの大人は皆、少年のホラか何かだと思って真面目に取り合わなかった。
 しかし、島の有力者でもある大村局長が招いた専門家の調査結果はその予想を覆す。
 少年の発見した石の欠片には、日本の土壌では含有されない成分が含まれていたという。
 日本の土壌にない成分が含まれたこの石はなんなのか、専門家は隕石が落下中に分解した欠片だろうと言った。
 更なる欠片を探す為に調査隊が組まれた。島はおろか島付近の海底まで調べたものの、他に隕石の欠片は見つからなかった。
 こうした紆余曲折を経て、小学校に落ちた隕石の欠片は正式に『氷魚島隕石』と認定される。
 氷魚島隕石は当時のニュースでも取り上げられ、氷魚島郵便局では隕石記念切手や隕石絵葉書を発売した。
 隕石騒動に共鳴するように特産物である氷魚昆布の売り上げもあがり、隕石は島おこしに多いに役立ったという。

 話が逸れた。とにかく俺は郵便の配達がつまらなく、とても面倒臭いと思っている。
 郵便の仕分けや消印を押す、チマチマした内勤の仕事は好きだ。単純作業は性に合ってるんだろう。
 けれど、人数が足りないからと配達作業にまで借り出されるのがたまらない。
 幸か不幸か集配作業は楽だ。なんせポストは郵便局の前、島に1つしかない。
 だが、民家は島のあちこちに散らばっている。面積的には小さい島でも丘陵になっているから実際の距離は増える。
 だから最近はこうして丘の中腹で自転車を停め、海を眺めながら一休みするのが俺の日課になっていた。
 砂利道の脇、雑木林が影を作っている。俺はいつものようにカゴから配達袋を引き抜くと、1本の木に寄りかかって天を仰ぐ。
 木漏れ日の向こうに太陽が覗き、目を細める。眩んだ視界をその斜め下に鎮座する入道雲を見る事で落ち着かせた。
 ゆっくりと流れる入道雲のように、ゆっくりと時間の進む島。毎度毎度のこのひと時は、決して嫌いではない。
「残ってる郵便物は、と……」
 袋から葉書や封筒を引き抜き、住所を確認する。
 島民への郵便物は少ない。
 島といえども携帯電話の電波は届くからケータイのメールだってできるし、電話もある。はっきり言って、郵便局員の俺でさえそれほど郵便を利用しない時代だ。
 しかし、高齢者にしてみれば手紙はまだまだ立派な通信ツールらしい。高齢者の多い氷魚島において郵便のやりとりは健在なのだ。運ぶ手紙には大抵、お年寄りの名前が記されている。
 そんな郵便物の中、今日は見慣れない宛名が目に留まって俺はハガキを繰る手を止めた。
「苅野 芽衣(かりの めい)様宛て……?」
 その名前を俺は良く知っている。氷魚島生まれ、氷魚島育ちの17歳。栗色の髪をショートカットにした快活な少女だった。小麦色した肌と、笑うと覗く八重歯。砂浜で擦り傷を作りながらビーチボールを追っていた姿が印象に残っている。
 芽衣は数少ない氷魚小学校出身者であり、島に越してきたばかりで部外者だった俺を初めて受け入れてくれた少女でもあった。
 一人ぼっちの俺に、八重歯まじりの笑顔で手を差し伸べてくれた芽衣は、俺を救ってくれる存在だった。
 だがそんな芽衣も今はもう居ない……と言っても死別した訳でもなく、内地の某進学校で寮生活を送っているだけだ。
 氷魚島に居ない芽衣だから、少なくとも俺が郵便局員になってからこの島に彼女宛ての郵便が届く事など今まで一度も無かった。
 芽衣への郵便物は1枚のハガキで、消印は千葉県木更津市になっている。文字はボールペンで書かれており、お世辞にも綺麗とは言えない、クセのある文字だった。見る限り男の書いたモノのようだ。
 男が少女に宛てた、決して届く事のないハガキ――芽衣の親御さんが気付いて寮へ転送すればその限りではないのだが――はどこか悲劇性を持ち合わせていて、俺の興味を激しくくすぐった。
 それは下世話な野次馬根性であり、同時に俺の救いの少女を奪う男かもしれないという嫉妬も少なからず含まれていたと思う。
 だから俺は、してはいけない事だと思っていても。
 そのハガキを裏返すのを止める事は、出来なかった。

『苅野芽衣さんへ

 はじめまして、僕は千葉県木更津市に住む菊田信一郎という者です。
 海の家でアルバイトをしていたところ、砂浜に埋もれた貴女のボトルレターを見つけてこうしてお返事を差し上げています。
 ボトルレターの日付は随分前のものですが、あれから貴女の隕石を調べる学者になりたいという夢に変わりはないでしょうか。
 私は大学生をやっていますが、恥ずかしながら人生に目標を見い出せずに淡々と毎日を過ごしています。
 貴女のボトルレターを読んで初めて氷魚島の存在を知り、ネットで調べました。
 星の落ちた地、氷魚島。とてもロマンがあって、素晴らしい島ですね。
 いつか彼女を連れて行ってみたいと思います。その時は是非島を案内してくださいね。

                               千葉県木更津市××××××
                                       菊田信一郎』

 驚いた。
 何が驚いたかって、芽衣がボトルレターを出していた事にまず驚いた。
 千葉県の木更津って事は、瓶詰めの手紙は黒潮に乗って東京湾に流れ着いたんだろう。そのまま発見されずに数年経って見つかったのか。
 芽衣はボトルレターなんて乙女チックな事をするようなイメージなんて無かったし、隕石を調べる学者になるなんて知的なイメージでもない。
 けれど、それだと説明のつく事もある。芽衣が進学校へと入学した件だ。
 快活な芽衣が進学校へ進むのは意外だった。勉強出来たんだな、とか。
 思えば、あの頃から違和感は俺の中に生じていたんだな。

「参ったな……隕石学者か」
 いつの間にか入道雲が太陽を覆い隠していた。海風が俺の身体を撫で、体温を奪い去っていく。
 それは心地よく、同時に肌寒かった。
 きっと、いや確実に氷魚島隕石が苅野芽衣という一人の少女の琴線を刺激したのだろう。
 芽衣は氷魚島隕石に興味を持ち、深くそれを知りたいと願ったのだ。
 それは儚く、ガラスのように純粋な思いなのだ。すぐ砕ける、けれども尊いほどに美しい。
 俺は複雑な気分だった。期待と畏れがないまぜになり、こめかみがシクシク痛む。
 芽衣が本当に学者にでもなったら、すぐに俺達の罪に気付くだろう。
 だが、それこそが救いであるようにも思えた。芽衣は一度ならず二度までも俺を救うのか。
 掌で痛むこめかみを抑える。水平線の下に広がる底抜けに青い海。吹く事を止めない海風。
 今更ながらに、職務はきちんと果たすべきものだと思った。
●あとがき
 この小説はWEB小説同盟さんが主催する第5回お題短編コンテストに出品した作品です。

 コンテストのテーマが『裏』という事で作品自体に裏を盛り込もうと思ってミステリの要素を混ぜてみました。

 結果は10位にも入りませんでした(笑)
 反省点としては、裏がある事を示唆しきれなかった……でしょうか。
 あとがきという事でネタバレになりますけれど、主人公の住む島に落ちた隕石、これは幼少の頃の主人公による悪戯です。金になると判断した島の実力者、郵便局長も共犯で、隕石が落ちた島として名物にしたんですね。日本にはない石も、海外旅行中の主人公が持ち込んでいた、とか色々伏線も張ってました。
 でも最後にいきなり展開が変わるだけで、判れというには難しかったですね。
 もう一文そこらへんを示唆する文章があれば良かったかなぁ。

 もうひとつの解決策としてはなつみSTEP!のように「謎が隠されつつも、その謎に気付かなくても1作品としてみれる」というやり方もあったんですけれど、この方法ではコンテストのテーマを考えると『裏』のコンセプトが弱いかなと思ったです。
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